#2 仄かに恋してたインド人に瞑想を勧められ、二つ返事で瞑想施設へ向かった
はいどーもー!
手毬(てまり)です。てまりんって呼んでくれてもOKです♡
前回は出だしから、コロナがぁ、、、自粛がぁぁ、、、銃殺がぁぁぁぁぁ、、、、
と、おどろおどろしい感じだったので、今回はノリノリでスタートです♪
まだ、どういうキャラでこのブログを書いていこうか、定まっていないだけです。。
決してメンヘラではありません。
日々の瞑想で、メンタル安定しまくりです♪
というわけで、瞑想ブログ第二回目。
このブログでは、海外での瞑想体験をメインに、美容・心とからだの健康に関する記事、海外生活、海外移住について、思いつくままに書いていく予定です。
今日はなぜ、私が瞑想に興味を持ったのか。そのきっかけについて。
人生で初めて瞑想経験者に出会ったのは、かれこれ10年ほど前。
タイのチェンマイに、ふらっとマッサージを習いに行っていた時のこと。
とあるマッサージの学校で知り合った、20代後半のジャパニーズ・ナイスガイだった。
とってもシャイで、口数の少ないジャパニーズ・シャイガイでしたが、なんとミャンマーで一年間瞑想生活をしていたと!
そのミャンマー瞑想トークに火が付いた時の彼は、まさに水を得た魚のように、瞳をきらっきらさせて、瞑想とは何ぞやと、ひたすらチェンマイの夜の屋台で語り続けていた。
2時間くらいだっただろうか、、あれだけ普段口数も少ないのに、よく2時間もこの人こんなに瞑想ネタだけで引っ張れるなぁー。
湧き水のように、どんどん溢れ出る瞑想ネタ。
その時の私は、あーこの人、黙ってれば普通にモテそうなのになー、とか、
ふーーん、こういう面白体験をしてる人もいるんだなぁーー位で、自分も瞑想してみたいとは全く思わなかった。
その時に何となく、私の脳の片隅に、
瞑想
マインドふるねす
というワードがインプットされたのでした。
それから数年後。
瞑想のことなんて、すっかりポッキリ忘れていた。
ある日突然、昔からの腐れ縁の幼馴染が、自ら命を絶ってしまった。
当時シンガポールに住んでいた私は、慌てて帰国して、お葬式、遺品の整理を手伝って、
一通り落ち着いた後、またシンガポールでいつもの日常に戻っていた。
何だか、心にポカーンと穴が空いてしまっていた。
穴が開いてるのに、色んな気持ちや感情が、心の中で渦巻いている。
悲しくて涙が出るわけでもなく、自分で自分の心の中の説明がつかない。
大事な人がこの世からいなくなること。
自分が生きていくこと。
女一人で海外に出てきて、また別の国に行こうとしてた当時の私は、仕事、拠点、パートナー、何も定まっていない状態だった。
そんな時、仲良くしていたインド人の友人に、それとなく話してみた。
彼はサラッと、
「あー、それはね、瞑想したらいいよ。」
め、瞑想って、チェンマイであのジャパニーズ・シャイガイに延々語られたあの瞑想か。。
私は、あの人がナイスガイだったことしか覚えていない。
彼が2時間も語り続けた、瞑想とは何ぞやという内容はとっくに吹っ飛んでいた。
そういえば、このインド人の友人といい、チェンマイで出会ったジャパニーズ・ナイスガイといい、2人共とにかく穏やかで落ち着いている。
この人達に、怒りという感情は存在するんだろうか?
後光がさしている。もう、仏にしか見えない。
もしかして、瞑想したら、そういう風になれるんだろうか?
この先の人生、オレオレ詐欺に全財産を取られても、通り魔に腹を刺されて飛び出した大腸で縄跳びをされても(こういう歌詞の歌あったな、、)
我隣人を愛せよと、マリア様のようなほほ笑みを犯人に向けられるんだろうか?
私も仏になりたい。
瞑想、、メイソウ、、迷走、、、
ま、仏の彼が言うなら、いつかやってみるか、、